『ベランジェという詩人がいた』

『ベランジェという詩人がいた』は全くなんて面白いんだろう!

ほんの数ページしかじっと読んではいられぬほどに
参照すべきキーワードが辺り一面に鏤められてて
それらを見つける度に他の本を手に取る羽目に陥るのだ!!

しばらく開いてなかったお気に入りの本
必須項目があって買ったが別件の確認にも役立ってる本
買ったばかりから放置して忘れ去ってた本・・・

それはまるで
旧友と再会したり
親友と更に交流を深めたり
新しい友達との距離を縮めてったりで・・・

本そのものにも著者にも、また登場人物に対しても
愛情を再認識させられた次第だ・・・ホゥ(*-∀-)

本は単なるモノではなく
著者の思想が詰まってる存在なのだが
それが読者の思想と共鳴し合うのは
社会の中で人間同士が出会って理解し合うのより
しがらみなどが取っ払われてる分
ダイレクトに通じるコトができるるる~

だから本から本へとハシゴ読みをしてると
自分を介して見知った友達同士だと思って読み繋いでても
別件でまた違う部分を梯子読みするコトとなり
喩えれば、実は旧知の仲だったと判明したりもするので
そうして本と本の絆を目の当たりにするのが
人と人の絆を目の当たりにするのと同じか
それ以上に人生の醍醐味だ(^^

ましてや生身の人間同士なら
時空の際限を超えて出会いようもなかろうが
本はそれを飛び越えて出会わすのだから
改めて考えると凄い(゚ ゚;)

『ベランジェという詩人がいた』との巡り会いのきっかけとなったのは
『ボヴァリー夫人』の脇役であるオメーの一節に
オメーはのあがめる神の名の中にあったのだ

私の神、私のあがめる神は、ソクラテス、フランクリン、ヴォルテール、ベランジェの神だ!

しかし初めて読んだ時は
不勉強だったのでベランジェを知らず・・・

いや、既に読んでたスタンダールの『赤と黒』にも
その名が出てきてたのだが
いずれにしろ現代日本人にとっては
フランス革命の頃の詩人(正しくはシャンソニエ)なんて
馴染みがなくてスルーして当然だ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

一応、Wikipediaには項目があったが・・・

ピエール=ジャン・ド・ベランジェ

アマゾンで「ベランジェ」で検索しても1冊しか該当せず。(´д`;)ギャボ

それでも1冊でも見つかったのは
むしろ奇跡的なコトではなかろうか?!

その希少価値である本の著者は林田遼右で
「あとがき」より河盛好蔵と師弟関係だったとあり
河盛ファンの自分はすっかり気持ちを預けて読み出したヽ(´▽`)/

決して権威主義でなく
その著書や訳書から直に伝わるのは
その人となりで、そこに好感が持てるのが
自分の敬意の対象となり得るのでね

そういう意味で
河盛に対して敬意を抱いてたワケだが
そんな河盛の身近な存在であり
彼をリスペクトしてる林田遼右は
もうそれだけで同志として崇めたくなるるる~

読み始めたら案の定
期待以上の面白さに止まらなくなり
夜を徹して読んでしまったが
それくらい自分を夢中にさせる1冊と巡り会えるなんて
至福だ。・゚・(ノД`)・゚・。

個人的に特筆すべきは
ラファイエットについての記述で
全く期待してなかっただけに
頻出するので嬉しさも一入なのだった!

シャンソンが話題の中心なだけに
酒場の片隅で時代を体感するような感覚で読めて
今までにもフランス革命~ナポレオン~王政復古と
この辺りは色々と読んだのだけど
自分にとっては1番興味深い記述が多かったね

1つ残念なのは
ベランジェが書いてた(と手紙にあった)詩に
『ネロン』なるタイトルのがあったのだが
この詩自体はこの本には掲載されてなかった。(゚д゚lll)ギャボ

ネロンは間違いなくローマ皇帝ネロだろうが
ベランジェがどんな詩を書いてたのか
つまりはネロをどう捉えてたのか
ネロヲタとしては非常に気になるトコロ。(´д`;)ギャボ

そしてベランジェのシャンソン『良い人々の神』は
締め括りがこんなだ

グラス片手に、私は、陽気に、良い人々の神に心を捧げます。

この【良い人々の神】という表現は
フランス革命直後のフランスで
ただひたすら善良なだけの平和主義者の民間人が
純粋な信仰心から手を合わせる神なのだろうと思われ

教会の権威主義の押し付けには胡散臭さを感じるし
それに対して平身低頭の妄信の信者に憐憫の情を抱く自分は
そういう信仰の不条理さに賛同しかねるだけで
【良い人々の神】に乾杯する庶民とは
できれば酒場で呑みたいのだよ( *゚Д゚)つ[酒]

オメーも理性によって物事を判断する科学的思考の持ち主なので
教会で神の代理人である司祭に指図されて
皆と一緒に形式的に祈らされるのはごめんだろうが
それは神を蔑ろにしてるからではなく
むしろ【良い人々の神】を尊んでるからこそであり
その温度差がわかるベランジェを
神と崇めるのだろう