『ボヴァリー夫人』のオメー

初めて『ボヴァリー夫人』を読んだ時から
脇役のオメーの言動に心惹かれてるるる~

オメーは薬屋のオヤジで
医者であるエマのダンナのシャルルとは
つるまざるを得ナイ間柄だが
それ以上にシャルルを盛り立ててくれる存在だ

著者フローベールにとっても
『ボヴァリー夫人』の影の功労者だろう

とはいえ、オメーはあくまでも脇役で
主役のエマになりきって読み進むと見過ごしてしまうw

なんせ伊達男ロドルフには
「ふとっちょ」などと揶揄されてるくらいなので
間違いなくシャルル以下のルックスで
薬屋と言うのがなんとなくいかがわしいし
不躾にお世辞を言ってご機嫌を伺ったりもするので
エマにしてみればときめく要素は微塵も無く
目の淵にさえ映って欲しくナイ男かもだ。(゚д゚lll)ギャボ

そんなオメーが喋り出したトコロで
ロマンスを求めて読んでる読者は
飛ばし読みをしてしまうのがオチだな。(´д`;)ギャボ

でも自分としてはオメーが魅力的だと思えるのだ
デ・ゼッサントとは意見を分かつがね((ユイスマンスの『さかしま』の主人公デ・ゼッサントはオメーに否定的な見解だ))

なんせオメーは薬屋なので
時代を先んじて化学的な世界観を持ってて
物事を合理的に解釈出来るだろうから
それだけでも友達になりたいタイプだったりするが
グルメで酒呑みでもあり
料理の腕が立ち=飯炊きは女、という信仰を持っておらず
りんご酒についての論文を書いてしまうくらい
コダワリズムを持ってるヲタなのだ!

健全な社会生活と病的なヲタ生活が共存してて
そのバランス感覚が素晴らしいのだ!!

そんなオメーが作中では
【外道】だの【無信仰】だのと非難されるのだが
神と崇める人物と信仰の仕方について
言い返した次の台詞には惚れ惚れしたね・・・ホゥ(*-∀-)

私だって信仰はあるさ。私流の信仰がね。それどころか、奴ら全部が束になったよりよけい信仰を持っている。奴らの虚礼やごまかしよりもましな信仰を!無信仰どころか、私は神をあがめている!私は至高存在を信じている。創造主を信じている。それが何であろうと、そんなことはかまわない。私たちをこの世に送ってくれたもの、地上で公民としての、一家の父としての義務をはたすためにこの世に送ってくれたものをあがめている。しかし、私は、教会の中で、銀の皿に接吻したり、我々よりも上等のものを食っているたくさんの山師連中を、自分のふところを痛めてこやしたりするためにでかけて行く必要を感じない!造物主をあがめるのは、森の中でも、野原でも、それどころか、古代の人間がやったように、青天井を眺めてでも、できることだ。私の神、私のあがめる神は、ソクラテス、フランクリン、ヴォルテール、ベランジェの神だ!私は『サヴォワの助任司祭の信仰告白』と同じ立場に立つものであり、89年(大革命)の不朽の綱領にくみするものだ!それゆえ、私は、杖を手に花園を歩き廻ったり、仲間を鯨の腹中に宿らせたり、ひと声で叫んで死んだと思うと、三日後によみがえったりする神の子などというものを認めない。そういうことは、それ自体不条理であり、それに、完全に、すべての物理的法則にもとるものだ。ついでながら、このことは、司祭どもが常に恥ずべき無知蒙昧のうちにとどまり、のみならず世人をもその中にひきずりこもうと努力していることを、証明している。

他人に対して「信仰心がナイ!」などと責める輩は
神の名を騙った詐欺師だと思ってた自分の魂を
オメーのこの熱弁が燃え上がらせられた

ソクラテス、フランクリン、ヴォルテール、ベランジェ・・・
そして『サヴォワの助任司祭の信仰告白』は
ルソーの『エミール』なのだヽ(´▽`)/

いや、高校生の頃は不勉強で
ベランジェをまるで知らなかったが
近年になってから知り得て
こんな素晴らしい人がいたのかと
オメーによって巡り会えたコトに感謝した(;つД`)

自分は科学が大好きだから
科学を愛する人の気持ちがわかるのだ

その中でも特に【生化学】は
【生物】を【化学】で理性的に解明しようとする学問で
そこにはいつも生があり死があるのだが
その刹那的な理(ことわり)を希求する時の甘美な恐怖心は
他に何も例えようがなく
アルコール要らずの酔い心地だ

万物が原子より成るコトを
まあ今では原子でなく素粒子か
そしてそこには不条理が入る隙がなく
それは自然の摂理が内包してる美しさが
邪魔されるコトがなく整然と成り立ってる世界で
実感すればするほど圧倒的な摂理の支配者の存在を感じるし
その支配者はむしろちっぽけな奇跡を起こす神などで
あろうはずもなく超然とした存在に思えるのだ

ヴォルテールの皮肉のように
創造主は自身に似せて人間を作ったが
人間も自身に似せて創造主を作ったのだろう

些か話がズレてきたが
【生化学】の実践される生業には
医者とか薬剤師とか栄養士のような医療関連職種以外に
農業や畜産業、食品の製造業・加工業などもあり
ドイツ・ロマン派を愛好する人なら
これに錬金術師も入るのだろうかヽ(゚∀。)ノ

自分も一時期そういう仕事に就いてみてよくわかったが
従事してる人が必ずしも科学を愛してはおらず
科学的=合理的=理論的思考さえ持たず
権威を信奉してたりするという不可解な事実だった

かといって熱に浮かされたように
信じる学説の論拠を語るなんて人もおらず
ただ職務上、典拠としてすがってるだけなのだ

既に学生の頃からそうだろうとは
うすうす感じてた

人類は科学でも芸術でも文芸でも音楽でも
自然の摂理の美しさへの探求を
畏怖や祈りとして表現するべきだなんて
言おうものなら異端だと排斥されそうだった

そんな風にワリと孤独感を募らせてた時に
『ボヴァリー夫人』を読んでオメーに出会ったので
薬屋のオヤジであるオメーが
農協主催の地域発表会みたいなモノに行くのを
「百姓仕事と何の関係があるの?」などと
近所のおかみさんが訝しがるのに対して
薬剤師であり化学者なので
化学=自然界の物質の組成を知らずして
その相互作用によって収穫を得る農業に従事してるようでは
ダメなんだ、と力説してのキメ台詞が

わが農民諸君が化学者であって欲しいと思う。

そう、そう、そうなんだよ
と、共感するコトしきり・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

この一方でオメーはフランス古典主義演劇を愛好し
特にラシーヌについて造詣が深いのだが
こんな男が現代日本に存在してて
ハード・ロックとヘヴィー・メタルを解すれば
理想的だな・・・ホゥ(*-∀-)

そもそも作中人物だがね・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ