啓蒙思想とフランス革命
ベランジェという詩人がいた―フランス革命からブルボン復古王朝まで
ベランジェという詩人がいた〔林田遼右〕
【序章】
- 国民詩人の死
【第一章】屋根裏部屋の青春
- 少年時代
- 貸本屋
- リュシアン・ボナパルト
- ペンを取れ、市民達よ!
- シャンソンとポエム
- ≪カヴォ≫
- 韻文
- ≪ヴォードヴィルの夕食(デイネ)≫
- ≪サン=スーシ修道院≫
- 就職
- 友人への手紙
- 出版統制
- ≪カヴォ・モデルヌ≫
- デゾージエ
- 替え歌
- 好色な歌
- ≪カヴェ・モデルヌ≫へ入会
【第二章】攻撃するシャンソニエ
- 帝政崩壊
- 『イヴトの王』
- 風見鶏
- 個性発揮
- ≪風見鶏騎士団≫
- 『新しいディオゲネス』
- 『リーズのための政治概論』
- そこのけ、おいらの場所だ
- 白鳥の歌
- 御用詩人
- 初めての出版
- 『上院議員』
- 年金
- ゴゲット
- 王の帰還
- 1816年
- 旧軍人
- 『カラバ公爵』
- 聖職者攻撃
- イエズス会神話
- 鳥は戻る
【第三章】ブルボン王政との闘い
- 言論の自由
- 『風邪ひき男』
- シャンソン戦争
- 「ミネルヴ」紙
- 『良い人々の神』
- 「コンスティテュショネル」
- 『古い軍旗』
- 第一回目の裁判
- 『良い神』
- 侮辱された王
- 判決
- 『おばあさん』
- ポール=ルイ・クーリエ
- サント=ペラジー監獄
- 裁判記録
【第四章】栄光につつまれた囚人
- 『検閲官』
- 第三シャンソン集
- ラヴォカ
- 妥協しないベランジェ
- 殉教者通り(リュウ・デ・マルティール)
- バルボンはまだ統治している
- 公判
- 出版社の責任
- 検事の反論
- ラ・フォルス監獄
- 高い家賃
- 『囚人の火』
- 出獄
- ナポレオン伝説(神話)
- エミール・ドゥブロー
【第五章】さまよう共和主義者
- 七月革命
- オルレアン派ではない
- 銀行家の王
- 『ラ・マルセイエーズ』
- 挿絵
- ベストセラー
- シャトーブリアン
- なぜ祖国を離れるのか
- パウロよ、どこへ行くのか
- ロマン派の人々
- 後輩のシャンソニエ
- 栄光の頂点
- ナポレオン三世
【終章】
- 忘却
- 古稀
あとがき
年表
参考文献
『ベランジェという詩人がいた』
『ベランジェという詩人がいた』は全くなんて面白いんだろう!


ほんの数ページしかじっと読んではいられぬほどに
参照すべきキーワードが辺り一面に鏤められてて
それらを見つける度に他の本を手に取る羽目に陥るのだ!!
しばらく開いてなかったお気に入りの本
必須項目があって買ったが別件の確認にも役立ってる本
買ったばかりから放置して忘れ去ってた本・・・
それはまるで
旧友と再会したり
親友と更に交流を深めたり
新しい友達との距離を縮めてったりで・・・
本そのものにも著者にも、また登場人物に対しても
愛情を再認識させられた次第だ・・・ホゥ(*-∀-)
本は単なるモノではなく
著者の思想が詰まってる存在なのだが
それが読者の思想と共鳴し合うのは
社会の中で人間同士が出会って理解し合うのより
しがらみなどが取っ払われてる分
ダイレクトに通じるコトができるるる~
だから本から本へとハシゴ読みをしてると
自分を介して見知った友達同士だと思って読み繋いでても
別件でまた違う部分を梯子読みするコトとなり
喩えれば、実は旧知の仲だったと判明したりもするので
そうして本と本の絆を目の当たりにするのが
人と人の絆を目の当たりにするのと同じか
それ以上に人生の醍醐味だ(^^)
ましてや生身の人間同士なら
時空の際限を超えて出会いようもなかろうが
本はそれを飛び越えて出会わすのだから
改めて考えると凄い(゚ ゚;)
『ベランジェという詩人がいた』との巡り会いのきっかけとなったのは
『ボヴァリー夫人』の脇役であるオメーの一節に
オメーはのあがめる神の名の中にあったのだ


しかし初めて読んだ時は
不勉強だったのでベランジェを知らず・・・
いや、既に読んでたスタンダールの『赤と黒』にも
その名が出てきてたのだが
いずれにしろ現代日本人にとっては
フランス革命の頃の詩人(正しくはシャンソニエ)なんて
馴染みがなくてスルーして当然だ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ


一応、Wikipediaには項目があったが・・・
ピエール=ジャン・ド・ベランジェ
アマゾンで「ベランジェ」で検索しても1冊しか該当せず。(´д`;)ギャボ
それでも1冊でも見つかったのは
むしろ奇跡的なコトではなかろうか?!
その希少価値である本の著者は林田遼右で
「あとがき」より河盛好蔵と師弟関係だったとあり
河盛ファンの自分はすっかり気持ちを預けて読み出したヽ(´▽`)/
決して権威主義でなく
その著書や訳書から直に伝わるのは
その人となりで、そこに好感が持てるのが
自分の敬意の対象となり得るのでね
そういう意味で
河盛に対して敬意を抱いてたワケだが
そんな河盛の身近な存在であり
彼をリスペクトしてる林田遼右は
もうそれだけで同志として崇めたくなるるる~
読み始めたら案の定
期待以上の面白さに止まらなくなり
夜を徹して読んでしまったが
それくらい自分を夢中にさせる1冊と巡り会えるなんて
至福だ。・゚・(ノД`)・゚・。
個人的に特筆すべきは
ラファイエットについての記述で
全く期待してなかっただけに
頻出するので嬉しさも一入なのだった!
シャンソンが話題の中心なだけに
酒場の片隅で時代を体感するような感覚で読めて
今までにもフランス革命~ナポレオン~王政復古と
この辺りは色々と読んだのだけど
自分にとっては1番興味深い記述が多かったね
1つ残念なのは
ベランジェが書いてた(と手紙にあった)詩に
『ネロン』なるタイトルのがあったのだが
この詩自体はこの本には掲載されてなかった。(゚д゚lll)ギャボ
ネロンは間違いなくローマ皇帝ネロだろうが
ベランジェがどんな詩を書いてたのか
つまりはネロをどう捉えてたのか
ネロヲタとしては非常に気になるトコロ。(´д`;)ギャボ
そしてベランジェのシャンソン『良い人々の神』は
締め括りがこんなだ
この【良い人々の神】という表現は
フランス革命直後のフランスで
ただひたすら善良なだけの平和主義者の民間人が
純粋な信仰心から手を合わせる神なのだろうと思われ
教会の権威主義の押し付けには胡散臭さを感じるし
それに対して平身低頭の妄信の信者に憐憫の情を抱く自分は
そういう信仰の不条理さに賛同しかねるだけで
【良い人々の神】に乾杯する庶民とは
できれば酒場で呑みたいのだよ( *゚Д゚)つ[酒]
オメーも理性によって物事を判断する科学的思考の持ち主なので
教会で神の代理人である司祭に指図されて
皆と一緒に形式的に祈らされるのはごめんだろうが
それは神を蔑ろにしてるからではなく
むしろ【良い人々の神】を尊んでるからこそであり
その温度差がわかるベランジェを
神と崇めるのだろう
ほんの数ページしかじっと読んではいられぬほどに
参照すべきキーワードが辺り一面に鏤められてて
それらを見つける度に他の本を手に取る羽目に陥るのだ!!
しばらく開いてなかったお気に入りの本
必須項目があって買ったが別件の確認にも役立ってる本
買ったばかりから放置して忘れ去ってた本・・・
それはまるで
旧友と再会したり
親友と更に交流を深めたり
新しい友達との距離を縮めてったりで・・・
本そのものにも著者にも、また登場人物に対しても
愛情を再認識させられた次第だ・・・ホゥ(*-∀-)
本は単なるモノではなく
著者の思想が詰まってる存在なのだが
それが読者の思想と共鳴し合うのは
社会の中で人間同士が出会って理解し合うのより
しがらみなどが取っ払われてる分
ダイレクトに通じるコトができるるる~
だから本から本へとハシゴ読みをしてると
自分を介して見知った友達同士だと思って読み繋いでても
別件でまた違う部分を梯子読みするコトとなり
喩えれば、実は旧知の仲だったと判明したりもするので
そうして本と本の絆を目の当たりにするのが
人と人の絆を目の当たりにするのと同じか
それ以上に人生の醍醐味だ(^^)
ましてや生身の人間同士なら
時空の際限を超えて出会いようもなかろうが
本はそれを飛び越えて出会わすのだから
改めて考えると凄い(゚ ゚;)
『ベランジェという詩人がいた』との巡り会いのきっかけとなったのは
『ボヴァリー夫人』の脇役であるオメーの一節に
オメーはのあがめる神の名の中にあったのだ
私の神、私のあがめる神は、ソクラテス、フランクリン、ヴォルテール、ベランジェの神だ!
しかし初めて読んだ時は
不勉強だったのでベランジェを知らず・・・
いや、既に読んでたスタンダールの『赤と黒』にも
その名が出てきてたのだが
いずれにしろ現代日本人にとっては
フランス革命の頃の詩人(正しくはシャンソニエ)なんて
馴染みがなくてスルーして当然だ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
一応、Wikipediaには項目があったが・・・
ピエール=ジャン・ド・ベランジェ
アマゾンで「ベランジェ」で検索しても1冊しか該当せず。(´д`;)ギャボ
それでも1冊でも見つかったのは
むしろ奇跡的なコトではなかろうか?!
その希少価値である本の著者は林田遼右で
「あとがき」より河盛好蔵と師弟関係だったとあり
河盛ファンの自分はすっかり気持ちを預けて読み出したヽ(´▽`)/
決して権威主義でなく
その著書や訳書から直に伝わるのは
その人となりで、そこに好感が持てるのが
自分の敬意の対象となり得るのでね
そういう意味で
河盛に対して敬意を抱いてたワケだが
そんな河盛の身近な存在であり
彼をリスペクトしてる林田遼右は
もうそれだけで同志として崇めたくなるるる~
読み始めたら案の定
期待以上の面白さに止まらなくなり
夜を徹して読んでしまったが
それくらい自分を夢中にさせる1冊と巡り会えるなんて
至福だ。・゚・(ノД`)・゚・。
個人的に特筆すべきは
ラファイエットについての記述で
全く期待してなかっただけに
頻出するので嬉しさも一入なのだった!
シャンソンが話題の中心なだけに
酒場の片隅で時代を体感するような感覚で読めて
今までにもフランス革命~ナポレオン~王政復古と
この辺りは色々と読んだのだけど
自分にとっては1番興味深い記述が多かったね
1つ残念なのは
ベランジェが書いてた(と手紙にあった)詩に
『ネロン』なるタイトルのがあったのだが
この詩自体はこの本には掲載されてなかった。(゚д゚lll)ギャボ
ネロンは間違いなくローマ皇帝ネロだろうが
ベランジェがどんな詩を書いてたのか
つまりはネロをどう捉えてたのか
ネロヲタとしては非常に気になるトコロ。(´д`;)ギャボ
そしてベランジェのシャンソン『良い人々の神』は
締め括りがこんなだ
グラス片手に、私は、陽気に、良い人々の神に心を捧げます。
この【良い人々の神】という表現は
フランス革命直後のフランスで
ただひたすら善良なだけの平和主義者の民間人が
純粋な信仰心から手を合わせる神なのだろうと思われ
教会の権威主義の押し付けには胡散臭さを感じるし
それに対して平身低頭の妄信の信者に憐憫の情を抱く自分は
そういう信仰の不条理さに賛同しかねるだけで
【良い人々の神】に乾杯する庶民とは
できれば酒場で呑みたいのだよ( *゚Д゚)つ[酒]
オメーも理性によって物事を判断する科学的思考の持ち主なので
教会で神の代理人である司祭に指図されて
皆と一緒に形式的に祈らされるのはごめんだろうが
それは神を蔑ろにしてるからではなく
むしろ【良い人々の神】を尊んでるからこそであり
その温度差がわかるベランジェを
神と崇めるのだろう