ドリアン・グレイの「画家の序文」について

オスカー・ワイルドの
『The Picture of Dorian Gray』は
自分はこれまで新潮社版の
『ドリアン・グレイの肖像』しか読んでおらず
その冒頭にある「画家の序文」は
ワイルドが小説の一部として書いたのだと
信じて疑わなかった

ところが筑摩世界文学大系【91】近代小説集
『ドリアン・グレイの画像』を読んでみたら
「画家の序文」が無かったのだ。(゚д゚lll)ギャボ

慌てて本屋に駆け込んで
光文社版(仁木めぐみ訳)をチェックしたが
これにも無かったので
もしかすると無いのがフツーなのか?!

まず「画家の序文」がどういうモノかを
簡単に説明しよう

登場人物の画家バジルには
モデルとなった実在の男がいて
仮に「実在のバジル」と呼ぶとすると
「実在のバジル」は自身が
ワイルドの小説の登場人物のモデルになったとは
まるで知らずにいた

それがある日
『ドリアン・グレイ~』を読んでみたら
「ワイルドとのふとしたやりとりから生まれた物語のようだ」
などと回想するのだ

「画家の序文」はそうして
「実在のバジル」が書いてるように見せかけて
実際はワイルド自身が書いてて
まあこの物語に信憑性を与えるための演出?

しかしよく考えてみれば(いや、よく考えなくても)
これが演出なはずはなかった

何年か過ぎたある日のこと、ふとした機会でこの本がわたしの手にはいった。

つまり「実在のバジル」が
初版を入手してたと仮定した場合
そこに既に「画家の序文」が入ってたら
矛盾してしまうヽ(゚∀。)ノ

そんな間抜けなパラドックスを
ワイルドがわざわざ演出するだろうか???

「画家の序文」は少なくとも
初版出版時(1891年)にはなくて
「実在のバジル」がそうと気付いてから
以降に付け加えられたとすれば
いつ、どういういきさつで附されたのかの
仔細が一切、不明なのが腑に落ちナイ

いつ、を推測すれば

ワイルドはこのテーマを永いあいだ暖めていたにちがいない。

ともあるので
「実在のバジル」は「ちがいない」と確信しつつも
それをワイルド自身に確認をとっておらず
ワイルドの死後(1900年以降)か?

あるいは生きてたとしても
獄中にあった(1895年~1897年)間で
「実在のバジル」は「画家の序文」について
当のワイルドでなく
例えば出版社に問い合わせたりしたのか?

とにかく「実在のバジル」は
自身がモデルとなってるコトを
ワイルドから知らされてなかったのだから
本を手にした「ある日」以降にはもちろんだが
恐らく「ある日」までも
ワイルドとは永らく会ってなかったはず

「実在のバジル」が本トに実在してて
出版社がそうと知って
勝手に「画家の序文」を附けたとすれば
ワイルドが投獄されて以降だろうて

そしてどういういきさつかは
「ある日」以降に「実在のバジル」が
自らすすんでなのか、周囲に乗せられたのか
出版社から「画家の序文」の執筆を
依頼されて書いたと思われ

だとしたら「画家の序文」の存在は
ワイルドの知るトコロではなく
もしかすると意に反してるかもしれず。(´д`;)ギャボ

上記の仮定が正しければ
新潮社以外で「画家の序文」が省かれてるのは
いわゆるネタバレ的要素も含まれてるので
出版社の方針としてか
わざと省いてるってコトになるるる~

しかし真相は不明だ><