オスカー・ワイルドの
『The Picture of Dorian Gray』は
慣れ親しんでた福田恆存(つねあり)訳以外でも
タイトルは『ドリアン・グレイの肖像』が一般的だが
筑摩世界文学大系【91】近代小説集の平井正穂訳や
岩波文庫でも西村孝次訳だと
『ドリアン・グレイの画像』だった
「picture」の訳として
「画像」は全然間違いではナイのだが
現代では「画像」とすると
コンピュータ上の「画像」ファイルが思い浮かび
ドリアン・グレイが描かれた肖像画という
本来の意味がまるで思い起こせず・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
もちろん平井や西村が訳した頃には
コンピュータは無かったのだが
それにしたって「画像」では
どうもピンとこナイ気がするるる~
「肖像」としてるのが実に巧妙だと思うのは
『ドリアン・グレイの肖像画』とまでしてしまうと
今度ははっきりしなくて意味を取り違え易い
ドリアンが描いた誰かの肖像画なのか
ドリアンの所有してる肖像画のコレクションなのか
ドリアンにとって特別思い入れのある誰かの肖像画なのか
とか、いろいろ詮索の余地があるのだよ
まあ自分のように英語の覚束ぬ人間が
判断すべきではナイかもだが
タイトルともなるとどうにも気になってしまう!
そして訳に頼らなければ読めナイからこそ
訳に対して望むのは
的確な訳であるかどうか以上に
訳注がより細やかで親切であるコトだが
その点で平井訳は優れてた!!
「序文」にあるキャリバンについても
訳注に以下のようにあった
シェイクスピアの『あらし』に出る醜い半獣人
読み始める前の時点でそうと判明してれば
シェイクスピアを先に読んでから
『ドリアン・グレイ~』を読み進めれば
第7章で再びキャリバンが出てきた時
「なるほど」と思えたはずだが
英文学に疎かった自分は
読み終わってもずっと謎を抱えてたw
また平井訳では第7章の本文中にまで
次のような親切な訳注もあった
ミランダ(シェイクスピア作『あらし』の女主人公で可憐な娘)を探しているのにキャリバン(『あらし』に出てくる醜悪な怪物)にぶっつかったような感じだった。
しかし福田訳には
これらの訳注は一切無かったのだ(;つД`)
恐らく福田にとっては
シェイクスピア劇の登場人物は常識なのだろうて
訳注だけから言えば
平井訳は初心者に向いてるかと^^
それにしても『ドリアン・グレイ~』は
多くの翻訳があって
あちこちの出版社から出てるが
岩波だけでも2つの訳があったりするって
自分が思ってた以上に
日本人には人気あるのだろうか?!