フローベールの『ボヴァリー夫人』からのラシーヌの『アタリー』

フローベールの『ボヴァリー夫人』に出てくるオメー
当時、科学の最先端の職種だったであろう薬剤師で
粋人気取りでやたらと高尚なモノに憧れては
無教養なクセに批判してくるような世間の人々を
俗物と嫌悪してるような人物で
お気に入りなのは自分と似てるからだろうか。(゚д゚lll)ギャボ

そんなオメーは4人の子持ちで
上から順に
長男が栄光の象徴ナポレオン
次男が自由の象徴フランクリン
などとたいそうな名前をつけてるのだが
長女イルマがローマン主義への譲歩、てのがわからぬ(゚ぺ;)ぬぬ

次女で末っ子のアタリーについても
フランス演劇最大不朽の傑作に敬意を表して、てのが
初めて読んだ際には全く意味不明だった。(´д`;)ギャボ

なんせ1980年代のコトだったから今みたいにググれず
専ら本(図書館)に頼るしかなかったのだが
おおよその見当くらいつかなければ調べようもなく・・・><

イルマのローマン主義ってのは
もちろんフランスのロマン主義文学だろうが
シャトーブリアンやユゴーの作には
イルマなる名は見当たらず・・・
自分が未読なだけ?邦訳が無いだけ?
他にフランスロマン主義の作家って誰だろうか???

アタリーのフランス演劇の方は
当然ながらフランス古典主義演劇なのだろうとは思いつくも
まだ全く未読で未知の世界だったので
コルネイユか?モリエールか?ラシーヌか?
絞るコトさえままならず^^;

そうしてイルマとアタリーは謎のままに
なんと20年が経過ヽ(゚∀。)ノ

結論から言えば
先に判明したのはアタリーの方だった

2006年夏の岩波文庫の一括重版28点35冊の中に
ラシーヌの『フェードル / アンドロマック』があり
アンドロマックがヘクトルの妻アンドロマケであるとピンときて
トロイ戦争ヲタの自分はそれ以上深いコトは考えずに購入

本編を読む前に
巻末の「解説」と「ジャン・ラシーヌ略年譜」にとりかかると
訳者の渡辺守章による年譜は【略年譜】とあるワリには15ページに及び
これをじっくり読み進んでたら『アタリー』の作品名を発見!

アタ~リ~(゚∀゚)

1691年(53歳)
一月、サン・シールにおいて、悲劇『アタリー』の御前稽古。『エステル』で試みた実験、すなわちコロス(合唱隊)が重要な役割を占める古代悲劇に比肩しようとする計画であり、更には、オペラが流行させた壮麗な装置が効果を挙げるべき芝居でもあり、しかもラシーヌの「異教的悲劇」の「偉大な悪女」に匹敵する女王アタリーを主人公に据えた極めて野心的な作品である。しかし前作『エステル』が、宮廷内で余りに世俗的に評判になったことへの批判もあって、衣装なしで御前上演がなされただけである。(『アタリー』のコメディー・フランセーズ初演は1716年3月。)

これがオメーの言うフランス演劇最大不朽の傑作なのだな!
そうとわかればアマゾンで検索!!

だがしかし・・・『アタリー』の個別の邦訳本は見当たらず
全集に入ってるかもしれなかったが総て絶版状態で
ラシーヌの『アタリー』の入手を一旦は諦めざるを得ず(;つД`)

それでもこの時点までで以下のコトが判明

  1. ラシーヌ53歳の時の作品でこれが最期の作品となった
  2. マントノン夫人の主催するサン・シール女子学院(貴族の孤児たちの教育機関)の生徒が演じた
  3. ラシーヌの生前には衣装ナシの御前稽古のみで上演されなかった
  4. コメディー・フランセーズによる初演は1716年でラシーヌの死後17年後だった

これらの事実からどうも疑わしく思えてきたのが
フランス演劇最大不朽の傑作とのオメーの評価の真意だ。(´д`;)ギャボ

エンターテインメントとしてか、あるいは商業的にか
とにかくプロの演劇集団が成功を収めてこそ
世間の評価も高まるのだと思われるが
既に前作の『エステル』から素人の女学生が演じてるだけで
『アタリー』に至ってはラシーヌの生前には
御前稽古のみで上演さえされておらず。(゚д゚lll)ギャボ

それでも『エステル』は

宮廷内で世俗的に評判になった

とすると、これはどう考えてもおかしな話だヽ(゚∀。)ノ

ラシーヌの『アタリー』(と『エステル』もだ)が
なぜルイ14世の愛妾マントノン夫人の許でのみ上演されてたのか?
そしてなぜ『アタリー』は上演前から不興を買ってたのか?
それも『エステル』の宮廷内での成功がありながらだ

オメーが『アタリー』を絶賛してるのはどういう思惑からなのか?
(著者フローベールがオメーの人間像をどう見せようとしてるのか?)

謎が深まるほどに魅了されるるる~