絵画の展覧会は
自分本位な観方で愉しみたいので
99.9%一人で観に行くようにしてるるる~
同じ画家の作品ばかりだとしても
1点1点思い入れが違うので
数秒しか目に留めぬモノもあれば
5分以上も足を止めてる場合もあるから
一定の歩調で周回するコトはありえんからだ^^;
その絵に確認すべき点があるかどうかなんてのは
自分にとって最重要事項だったりしても
他人にとっては全くそうでなかったりするので
確認できたからって一頻り感嘆してても
恐らく同調されるコトはなく><
逆に自分からしたら何も意味を無さぬとか
もしくは興味の対象を描いてたとしても
描き方や解釈が意に添わなければ
瞬間的にすっ飛ばして先に進みたいってのもあり
例えば、展示100点程の中で1点しか
観るべきと思えるモノがなかったとしたら
その目的の1点以外には目もくれずに
15分で会場を後にしたい・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
でも殆どの人はちゃんと全作品を観たいし
多少の差はあれど1点づつを
ほぼ同じペースで観て回りたいだろうて
ん?
ちょっと話が逸れたかw
とにかくBunkamura ザ・ミュージアムの
「ヴェネツィア絵画のきらめき」は
ティツィアーノの描くサロメ目当てだったが
全71点中には他にも見所があった^^
ヴェロネーゼの『エッケ・ホモ(キリストと刑史たち)』は
特に好きな作品とは言い難いが
個人蔵なので本物を見れる機会に観ておきたかった!
「エッケ・ホモ」は新訳聖書に出てくる言葉で
ラテン語で「この人を見よ」の意
捉えたイエス・キリストに向かって
ピラト総督が発する台詞で
『最後の誘惑(※)』を観て以来の
デヴィッド・ボウイ演ずるピラトのファンとしては
観ておくべきかとp(-_-+)q
でもこの絵にはピラトは描かれてなくってよヽ(゚∀。)ノ
※原題:The Last Temptation of Christ
今回は他にも予想外な作品と巡り会えて
狂喜乱舞!!
・・・したいのを抑えて静かに鑑賞してたがw
まずはヨーゼフ・ハインツの
『イアソンを若返らすメディア』だ
イアソンとメディアについて手短かに話せば
「コルキスの金羊毛」を獲得するため
アルゴー号に乗ってやってきた英雄たちの
リーダー的存在がイアソンだったが
王女メディアの助けを借りて
「コルキスの金羊毛」を手に入れるコトに成功し
イアソンはメディアを娶った
ところがメディアは2人の子まで成したのに
若い女に現を抜かしたイアソンに捨て置かれてしまい
イアソンの妻となったその女を
メディアは毒殺するのだが
その際に自身の子供らまで手にかけた。(゚д゚lll)ギャボ
とにかく男ってのは若い女が好きで
助力してくれた古女房なんて
簡単に捨てられるほど薄情な生き物だから
まあイアソンはある意味フツーの男だ
しかしメディアは変わってるというか
おかしい・・・てか、常軌を逸してるレベル。(´д`;)ギャボ
そもそも夫の浮気に対して
復讐として(なのか?)我が子を殺すって
その発想がどこからくるのか謎だし
実行できてしまうって謎過ぎ(゚Д゚)ハァ?
それに浮気夫を懲らしめるのに(なのか?)
浮気相手の女を殺すってのもどうかと(゚Д゚;)ハァア?
夫の浮気発覚後にメディアがとった行動は
どれをとっても何を目指してるのか
意味不明過ぎるるる~
またメディアは毒殺できるくらい
無駄に薬草の知識に明るかったりするのだが
それが禍となる不憫な女で
中世のキリスト教文化においては
すっかり魔女呼ばわりだp(-_-+)q
この絵のメディアも完全に魔女に描かれてて
よく見れば周囲には魑魅魍魎がうようよ・・・
あれ?
そういえばこういうヤツらって
洋の東西を問わずこんななのだろうか?
しかし本物に近付いて
目を凝らして観てみたら
こいつら、なんとも繊細に美しく描かれてて
実際、不気味だが美しいのだ!!
この絵の独特の妖美とも言うべき美的感覚って
昨今のヴィジュアル系なんかには
なかなかフィットしてるような気が・・・(゚*゚;)