先のワールドカップの折に「はちくん」と出会った
試合無しの夜だったので仕事帰りに久々に本屋に寄ったら、「はちくん」のイラストに出くわして一目惚れ
集英社のキャンペーン【世界をめくろう。ナツイチ 2010】で使用されてたキャラクター「はちくん」だが、期間限定で「はちくん」が表紙になってる本も何冊かあったり、「はちくん」ストラップがオマケにもらえたので断然購入意欲が湧くよね~
ラインナップにアランの『幸福論』があって、まさに「はちくん」が表紙で訳者が白井健三郎とあったので、自分が長年愛読してる石川湧訳と比較すべく買ってみた
※2024年現在はこんな表紙↓
それにしても訳者の名の白井健三郎は初見ではなく、何かで見てるはず・・・だが、すぐにはピンとこず、自分のサイトを検索したら、筑摩世界文学大系のサルトルの巻の「一九四七年における作家の状況(『文学とは何か』より)」を訳してた
そしてこの方の訳書は他には持ってなかったのも確認、さすがにそれだけじゃピンとはこなくってよ(耄碌ではなかったらしい)
元々持ってたアランの『幸福論』角川文庫版は、自分より1つ年上で昭和42年(1967年)発行だが、この初版が昭和26年なので当然ながら旧仮名遣いだ
まあ20世紀のうちは古本屋で出会う本に旧仮名遣いは珍しくなかったし、特に学生の頃は読みたい本が格安だったら、そんなコトは全く気にもかけずに購入したものである
むしろ気さくに読める格安の古本の文庫本こそが、持ち歩いて、寝床で、風呂場で、読むのには適ってたのだ
そんなワケで元より古本で褐変してたのだが、実際に寝食を共にして読んでたので、すっかりよれよれぼろぼろになってしまい、もう1冊、できれば新訳でも欲しい、と常々思ってたし、数多ある新訳のどれを選ぶべきか迷ってもいたので買えずにいた
そこへきて「はちくん」のおかげで、浅慮の決断で購入できたのだが、結果として選択は間違ってなかったようで・・・
石川訳では「アレクサンデル」「我意の人」「克己(こっき)主義」
白井訳では「アレクサンダー」「エゴイスト」「ストイシズム」
などと、微妙な差異を読み解くのが愉快だ
さすがに「わからずや」が「間抜けな人間」になってると、読み慣れてない方に違和感を感じたりもしたが、それもまた愉快だ
さて【世界をめくろう。ナツイチ 2010】で、「はちくん」の表紙の本は他にも何冊かあったのだが、あいにくこれと言って欲しい本はなかった(ざざざんねん)
それでも何か買えば「はちくん」のストラップがもらえたので3冊購入
サンテグジュペリの『星の王子さま』
内藤濯の訳でしか読んでなかったのでね
ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』
海洋文学大好物なのでね
中原中也の『汚れつちまつた悲しみに・・・』
母親が持ってるのだが自分のが別にあってもよかろう
どれも読んだコトあるけど持ってはいなかったのばかりで、要するに今までは特に買うつもりもなかったのだが、だからこそこういう機会に買うのにはもってこいだった
自分がちびたの時に読んだ『星の王子さま』は王道の内藤濯訳だったが、その時は正直、あまり感銘を受けなかった・・・
他にもたくさん感動できる本を次々と読んでた時代で、その中で自分が格別に欲してた内容は、芸術性に優れた美的な文章か知識の洪水のような項目だったので、わがままな子供が浅はかな大人に対してごねてるだけのように思えて、大人びた子供には素直に受け容れ難い部分が多かったのだ
バラは登場人物・・・いや、登場植物の中でもとても嫌なカンジがして、大嫌いだったのだけが記憶に残ってた(苦笑)
それが改めて読み始めてみれば、突如、歯肉炎の激痛に襲われたかと思うと、顔半分がぐ~んと腫れあがり、熱を持って頭痛も激しくなり、起きてるのが無理な状態にほんの数分で至った
ウォッカをガブガブやりながら眠る体勢になるが激痛で眠れず、痛みから気をそらそうとしてその寝たままの姿勢で読み始めたのだが、バラと王子の関係に不覚にも涙した
涙が流れる度に耳下腺がきりきりとして、腫れたほっぺたが更に熱を持つように感じられ、とにかく酷く痛かった!歯肉炎で死ぬのは難しいだろうがこのまま死んでしまうかと思った!!
泣いて体力を消耗すると心の中の蟠りが消えるので、子供は泣いた後には必ず気持ちよく眠るものだと思ってたが、それは大人でも変わらぬようでぐっすり眠れた
きっと自分に何かが必要だったので、こうしてこの本と再会して涙したのだろうな