フローベールの『ボヴァリー夫人』とトルストイの『アンナ・カレーニナ』

フローベールの『ボヴァリー夫人』は
リアリスムの傑作として名高い作品ではあるが
発売当初は問題作だった><

主人公のエマ(=ボヴァリー夫人)は
幾分(当時にしてみれば大分)奔放な女で
退屈な夫を裏切り、刺激的な愛人の元に走るも
最終的には夫に内緒にしてた借金で
絵に描いたような身の破滅をしてしまう。(゚д゚lll)ギャボ

これが社会に悪影響を及ぼすとして
なんと裁判沙汰になってしまい
著者フローベールと出版社の責任者が
法廷に引きずり出された・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

結果的には無罪となって
また裁判が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ宣伝になったお陰(?)で
『ボヴァリー夫人』は売れに売れたのだったw

結末を言ってしまえば
追い詰められた主人公のエマは
いきなり服毒自殺してしまうのだが
その前に夫に不貞を詫びて許しを請えば
まだしもやり直せたかもしれなかった

いや、エマは夢見がちなだけでなく
現実においても見栄っ張りで
身の程知らずの贅沢をしてたために
夫まで破滅に追いやるほどに借金をこしらえてて
やり直すとしたら生活苦は目に見えてるが
それでも許してもらえるくらい夫には愛されてたのだ

そりゃあもう状況的には
エマは死んで詫びるしかなかったけども・・・
とはいえ、死にはしたが詫びておらずp(-_-+)q

こういう女は自身の悪辣さに対して
気付いてもそう思われぬよう振る舞えるほど狡猾か
もしくは全く気付かぬくらいバカなんだろう。(´д`;)ギャボ

追い詰められてく過程でも
ひたすら誤魔化すか逃れようとしかせず
問題を解決しようとか、その前に悔い改めようとか
そういう意識は一切持ち得ず(-_-;)

そして逃げ延びるためなら殺人だってしかねなかったが
逃げられぬとなると自殺するしかなくなるって
短絡的過ぎ(゚*゚;)

まあでもそういう気質なんだろうね

自己中心的で見栄っ張りで勝ち気で
それでいて自身は何もせずって他力本願の女・・・
ちやほやされるだけが生き甲斐なのか?

それもつまらぬ男になw

こういう女、何が拙かったのかって
そこそこの美人に生まれついたコトなんだろうな><

もしもエマがブスだったら
現実は甘くなかっただろうから
分相応の幸せに気付けたかもしれず^^;

でもそこそこの美人に対しては
現実もうわべだけは甘く
一発逆転に賭けてしまいたくなるのかね?

風船のように負債が膨れていって
破裂してしまうしかなくなると破滅するしかなく・・・

トルストイの『アンナ・カレーニナ』も
妻が不貞を犯す話だが
こちらは少し趣が違うと言うか
美人妻アンナが不倫にひた走るサマが衝撃的だ!

エマが生きてる間は夫にバレてなかったのと対照的に
アンナは愛人に求められるままに夫を捨てて
愛人の元へ身を寄せてしまうのだΣ(゚д゚lll)ガーン

田舎の開業医の妻であった夢見がちなエマは
行きずりの色男たちと関係を持っても
火遊びを愉しんでるに過ぎなくて
夫を捨てるには至らず

一方、官僚の妻であった美貌のアンナは
1将校との熱烈な恋愛・・・
もっと言えば肉体関係自体に溺れてしまい
夫も息子も捨ておいて出て行くのだ!

それでいて生活に行き詰ってしまうと
夫の元に戻ってくるわ(゚Д゚)ハァ?
その際に夫に寛大に迎え入れられるわ(゚Д゚;)ハァア?

そうかと思えば再び将校と駆け落ちして
でも猜疑心から自殺する破目に・・・バタリ ゙〓■●゙

スケールが違うというか
なんというか・・・www

この時代の女性にとっては
夫とはズバリ生活の糧だったから
女は愛とか恋とかほざく前に
生きるためにまず結婚せねばならず!!

そうして生活のために結婚してるので
夫を愛していようがいまいが
日々の生活は共にしなければならず
夫に先立たれたら他の男に嫁ぐしかなく・・・

そういう社会機構の中で
女性の気持ちも権利も無視され続けてきたので
エマやアンナが時代に先行して
恋愛感情を顕わにしたのは
良くも悪くも革命的だっただろうが
現代日本人の感覚では
当時の抑圧も不可思議なだけだろうかね?!

一応、不倫は不道徳だと見做されてても
渦中の人物が有名人だと徹底的に叩く風潮はあっても
それに対して庇う人もいるくらいだから
今はエマやアンナのような悪女も
自殺するには至らぬ世の中になった・・・のか???

自分も若い時はうっかり
エマやアンナの革命的な部分に同調して
「野垂れ死んでもあたしの人生」みたいなコトを
ほざいていたりもしたが
歳をとってから冷静に考えてみると
エマは金持ちの愛人に駆け落ちを迫ったのに断られてしまってて
若い恋人にはエマが満足できる程の生活能力がなく
医師の夫の元で生活するしかなかったのだし
アンナは自身を求める男に対して
その度に応じて身を預けてただけで
2人とも結局のトコロは
不埒な男に振り回されただけな気が・・・ヽ(゚∀。)ノ

それにしても
トルストイはアンナのようなヒロインを描きながら
「モーパッサン論」の中で
『女の一生』のヒロインに対して
「どれほど鬼畜な夫であれ、放蕩息子であれ、耐え抜いた」
などと絶賛してるので苦々しく思ってたけど
トーマス・マンの「アンナ・カレーニナ論」を読んで
合点が行ったのが・・・

『アンナ・カレーニナ』の主役は
アンナではなくレーヴィンである

え?

レーヴィンはトルストイであり
キチイもトルストイ夫人なのである
女は貞節を軽んじれば破滅に向かう!!

なんて、教訓めいた物語だったらすぃ

たぶん、アンナを演じてたキーラ・ナイトレイも
自身が主役だと思ってただろうな・・・

そしてエマもアンナも不倫の末に自殺したのは同じだが
そのタイトルからも歴然とわかるように
エマは死ぬまで「ボヴァリー夫人」であり続けたし
アンナは最期まで「アンナ・カレーニナ」だったので
それがタイトルなんだってワケだ

モーパッサンの『女の一生(原題:Une Vie)』が
「とある女(の生涯)」なのも
主人公のジャンヌがただの女で
受け身で自らは何もしなかったってのに
凄く納得が行く気が・・・

題名には深い意味があるのだな