アポロドーロスの『ギリシア神話(Bibliotheke)』

本棚に居並ぶ本の中で
ギリシア神話の総括的な系譜と言えば
その古さからもヘシオドスの『神統記』だろう

これは本トに系譜のみだから
その由緒正しさでは他の追従を許さぬのだが
このヘシオドスに次ぐ(あるいはヘシオドスを継ぐ)
正統派の詳細な系譜となると
これがずっと時代を下って
ローマ時代のアポロドーロスになってしまう

ギリシア神話の集大成的な書物は
ヘシオドスからアポロドーロスまでの間にもあったろうが
現代まで残存しなかったりで
(あっても邦訳されてなかっただけかもだが?)
とりあえず手元にあるモノの中では
この2冊に尽きるのだった

神や英雄の物語は民族毎にあり
古代世界では稀に粘土板に刻まれてたりもするが
たいてい口承文学として語り継がれてて
古代ギリシアでは叙事詩として
吟遊詩人が歌い継いでた

かの『イリアス』と『オデュッセイア』も
紀元前8世紀頃にホメロスによって完成されたが
文書化されたはホメロス死後で
紀元前6世紀頃と推定されてるるる~

またギリシア神話の一部を主題にして
戯曲化されたギリシア悲劇が演じられるようになったが
元のギリシア神話は人口に膾炙してたので
神を含む登場人物や繰り広げられるエピソードは
既知のモノで説明は不要だった

江戸っ子が古典落語を熟知してるように
古代ギリシア人もギリシア神話を心得てたので
その手引きとなるような系譜や挿話集を
改めて編纂する必要も無かったのだ

だからこそローマ期において
ギリシア神話がローマ神話となり
ラテン文学においてよく取り上げられてるワケだ

ギリシアを征服したローマだったが
ローマ人はギリシア人の優れた文化を蔑ろにせず
むしろ知見豊かなギリシア人を尊敬し
教師として雇い入れてたのだ

賢くなりたいローマ人にとって
ギリシア語とギリシア神話の知識は
不可欠だったと思えるのは
ギリシア人の出自がどこまで本気かは別として
必ず神や英雄に由来してたのだからね(゚*゚;)

そう考えるとアポロドーロスは
まずギリシア語の文献に明るかっただろうが
几帳面な性格なのか?

系譜に重きを置いて編纂したのが
原題『Bibliotheke(ビブリオテーケー)』だが・・・

余り重要ではなさそうな人物の家系の説明が
本編から逸れて延々と続いたり
頭数を合わせるためだけに名前のみ登場とか
まともに読むとうんざりするような
旧約聖書みたいな文面が散見するのが
この書物の特徴で
言うなれば専門書?解説書??手引き???

これに比すれば
オウィディウスの『変身物語』や
ウェルギリウスの『アエネーイス』は
さしずめ大衆娯楽作品だなw

換言すれば
ギリシア神話はラテン文学の中で
ギリシア・ローマ神話として改訂されたのだ

そしてラテン文学においては
どうも娯楽性を追及し過ぎてか
こじつけてる部分も多く感じてしまい
信憑性に欠けるので
とにかく何か疑問に思ったら
まずアポロドーロスの『ギリシア神話』で
調べるのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

まあそもそも神話なので
信憑性を求めるのはどうかしてるがな(-_-;)

実際にあった出来事も多少は含まれたかも?
でも荒唐無稽であれば虚構に違いなく
ギリシア・ローマ神話が総じて史実かどうか???
そりゃ寓話だよ!
と真顔で胸を張って答えられるるる~p(-_-+)q

科学的に検証するのに
無理があるのは重々承知してるが
そう割り切りつつも
考察を重ねずにはいられず・・・
それは編み出したい結論があるからだろうて!!

神話に希求するのはもちろん真実ではなく
(でもたまたま事実を突き止めてたりするかも?!)
自分の思想や嗜好の
「新たな方向付け」とか
「根付いてる部分への共感」とか
要するに自分の存在意義を見出したい・・・のかヽ(゚∀。)ノ