中公世界の名著
中公世界の名著【40/51】キルケゴール
キルケゴールの生涯と著作活動〔桝田啓三郎〕
- キルケゴールと私
- キルケゴール復興
- キルケゴールの現代における意義
- いかに読むべきか
- 主体性・実存・真理
- 著作活動とその背景
- 『コルサル』事件
- 神の前の戦い
- 日本におけるキルケゴール
哲学的断片〔キルケゴール / 杉山好訳〕
≪序≫
- <論題> 問いは無知なる者によって発せられる。その際、自分がかく問うにいたった原因はそもそもなんであったかについても、問う者は知らない。
≪第1章≫思想計画
- [A]
- [B]
- a.先にあった状態
- b.教師
- c.弟子
≪第2章≫教師にして救い主なる神
- ――詩の試み
≪第3章≫絶対的逆説
- ――形而上学的奇想
- <付言> 逆説とつまづき
- ――聞き違い
≪第4章≫同時代の弟子の立場
- <間奏曲> 過ぎ去ったものは、来たろうとするものよりも、必然性においてまさっているか?もしくは、可能性のなかにあったものが、現実となることによって、可能性であったとき以上の必然性を獲得するか?
- [1]生成
- [2]歴史とはなにか
- [3]過去とはなにか
- [4]過去の解釈
- <付言> 実例への適用
≪第5章≫間接の弟
- [1]間接の弟子のあいだの異同
- a.間接の弟子の最初の世代
- b.最後の世代
- c.対比
- [2]間接の弟子とはだれか
ことわり
不安の概念〔キルケゴール / 田淵義三郎訳〕
≪序≫序論
≪第1章≫原罪の前提としての、また原罪を後ろ向きにその起原にさかのぼって説明するものとしての不
- [1]「原罪」の概念についての歴史学的な手がかり
- [2]「最初の罪」の概念
- [3]無垢の概念
- [4]堕罪の概念
- [5]不安の概念
- [6]原罪の前提としての、また原罪をその起原にさかのぼって説明するものとしての不安
≪第2章≫原罪を前向きに説明するものとしての不安
- [1]客観的不安
- [2]主観的不安
- A.世代関係の結果
- B.歴史的関係の結果
≪第3章≫罪の意識が欠けている罪の結果としての不安
- [1]無精神の不安
- [2]運命から見て弁証法的に規定されている不安
- [3]責めから見て弁証法的に規定されている不安
≪第4章≫罪の不安、あるいは単独者における罪の結果としての不安
- [1]悪に対する不安
- [2]善に対する不安〔悪魔的なもの〕
- 1.肉体的・心的に失われた自由
- 2.精神的に失われた自由
≪第5章≫信仰により救うものとしての不安
現代の批判〔キルケゴール / 桝田啓三郎訳〕
死にいたる病〔キルケゴール / 桝田啓三郎訳〕
≪序≫
≪箴言≫
≪第1編≫死にいたる病とは絶望のことである
- [A]絶望が死にいたる病であるということ
- A.絶望は精神における病、自己における病であり、したがってそれには3つの場合がありうる。絶望して、自己をもっていることを自覚していない場合〈非本来的な絶望〉。絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。絶望して、自己自身であろうと欲する場合
- B.絶望の可能性と現実性
- C.絶望は「死にいたる病」である
- [B]この病〈絶望〉の普遍性
- [C]この病〈絶望〉の諸形態
- A.絶望が意識されているかいないかという点を反省せずに考察された場合の絶望。したがってここでは総合の諸契機のみが反省される
- B.意識という規定のもとにみられた絶望
≪第2編≫絶望は罪である
- [A]絶望は罪である
- 《第1章》自己意識の諸段階〈神の前に、という規定〉
- <付言> 罪の定義がつまづきの可能性を蔵しているということ、つまづきについての一般的な注意
- 《第2章》罪のソクラテス的定義
- 《第3章》罪は消極的なものではなくて、積極的なものであるということ
- <[A]の付言> しかしそれでは、罪はある意味できわめてまれなことになりはしないか?
- [B]罪の継続
- A.自己の罪について絶望する罪
- B.罪の赦しにたいして絶望する罪〈つまづき〉
- C.キリスト教を肯定式的に廃棄し、それを虚偽であると説く罪
年譜
索引