中公世界の名著

【14/16】アウグスティヌス

教父アウグスティヌスと『告白』〔山田晶〕
  • アウグスティヌスと私
  • 「告白」というもの
  • 思想の形成まで
  • 思想の展開と時代
  • アウグスティヌスと現代
告白〔アウグスティヌス / 山田晶訳〕
    【第1巻】
  •  まず、神を呼びもとめた後に、15歳にいたる生涯のはじめの時期を回顧する。 幼年と少年時代の罪をみとめ、このころ、勉強より遊びや子どもじみたたのしみにふけったことを告白する。
    【第2巻】
  •  青年時代にすすむ。この時代のはじめ、16歳のとき、学業を中止して父の家で才能を消費し、情欲にふけったことを、大きなかなしみをもって回顧する。 仲間といっしょに犯した窃盗をとくにきびしく裁く。
    【第3巻】
  •  17歳、18歳、19歳とカルタゴで暮らした。 そこで文学研究の過程をはたすあいだに、情欲的な愛の罠にかかった。 のみならず、マニ教の異端にもおちいったことを想起する。 マニ教徒の誤謬と愚行とを駁してくわしく論ずる。 彼のため流された母の涙と、彼の復帰について神からうけた答えに言及する。
    【第4巻】
  •  アウグスティヌスは、マニ教の9年間にわたって帰依し、他の人々を同じ誤謬に誘ったことを恥じる。 占星家の意見をたずねたこと、その間、友人を死に奪われてつらいかなしみを味わったことを述べ、その機会に、むなしい汚れた友情についていささか論ずる。 26、27歳のとき書いた『美と適合について』という書物に言及する。 自由学芸に関する諸書と、アリストテレスの『範疇論』とを20歳のころ独力で、いとも容易に理解したことを述べる。
    【第5巻】
  •  29歳のとき、マニ教徒ファウストゥスの無知を知り、この宗派において進歩しようという意図をすてた。 修辞学を教えていたローマから、同じ学を教えるためミラノに移り、アンブロシウスの話を聞いてわれにかえり、マニ教を拒否し、もう1度洗礼志願者になろうと決心した。
    【第6巻】
  •  母モニカもミラノに到着し、30になった彼はアンブロシウスの説教に動かされて、マニ教徒が虚偽の非難をしていたカトリック教の真理をますます理解するようになった。 友人アリピウスの行状を述べる。 もっと善い生活をしようと思いながら、心は千々にみだれた。 死と審判の恐怖にうたれて、生活を改めようとする心がますます強く燃えあがってきた。
    【第7巻】
  •  壮年時代のはじめ、すなわち31歳のときを回想して、次のように語る。 その年、まだ深い無知の闇につつまれ、神の本性と悪の起原とについてまちがった考えをいだき、悪の起原の探求に不思議なしかたでなやまされていたが、ついに神の真の認識に到達した。 だが主キリストについては、正しい考えをいだいていなかった。
    【第8巻】
  •  生涯におけるもっとも有名な時期にふれる。 32歳のことである。 この年、シンプリキアヌスに相談し、彼からウィクトリアヌスの回心の話を聞いた。 ポンティキアヌスとの交友から、エジプトの修道者アントニウスの生涯を知った。 霊肉のはげしい闘争の後、霊感のすすめをうけて使徒パウロの書を見た。 読むやいなや、善い生活に向上しようというのぞみに心の底から動かされ、完全に回心した。
    【第9巻】
  •  修辞学の教職を辞任しようという意図をいだいたが、間近に迫っていた葡萄収穫の休暇がくるまで待とうと考え、それから、友人ウェレクンドゥスの山荘にしりぞいた。 受洗、母モニカの徳と死について述べる。 母は、彼が受洗した年、すなわちアウグスティヌス32歳のときになくなった。
    【第10巻】
  •  ついで、かつての自己ではなく、現在の自己が、いかなるものであるかを吟味し、あきらかにする。 愛する神を示さんがために、さまざまなものを個々に調べ、多くの例証によってじつに驚嘆すべき記憶の力を説明し、その記憶のうちに神のましますことを感謝する。 情欲、好奇心、傲慢という3つの誘惑の観点から、自己の思い、行ない、感情を吟味する。 神と人間との唯一の仲介者は主キリストであることを告白し、魂のすべての病は、キリストの助けによっていやされることを確信する。
    【第11巻】
  •  ついで、神を讃えるために、聖書についての自己の知と無知、しかもなお神の賜物をうけて聖書を知ろうと燃えあがる熱心を告白し、「創世記」巻頭の解釈にとりかかり、まず第一に、「始めに神は天地を造りたもうた」ということばを説明する。 そこで、天地を造る以前に神は何をしていたか、それまで創らなかった天地を、いつか造ろうという気が神の精神のうちにおこったのはどうしてかという反問に出会う。 この反問をしりぞけようとつとめながら、時についての詳細な議論にはいってゆく。
    【第12巻】
  •  前巻にひきつづき、「始めに神は天地を造りたもうた」という句の解釈をする。 そこで、「天」という名は、いつも神の顔をながめている霊的ないし知性的被造物を、「地」という名は、もろもろの種類の物体的なものがそこからのちに形づくられた無形の資料を意味すると考える。 しかし別の解釈の理由もしりぞけられるべきではない。 かえって聖書の深さからは多様な意味がくみとられうることをみとめる。
    【第13巻】
  •  まず、神の善はものの産出と完成とのうちに反映していること、三位一体である神と精霊の固有性とは「創世記」巻頭のことばのうちに暗示されていることを示し、それから、創造された世界の全歴史を、比ゆ的解釈により、神が教会において人間の聖化と栄光とのためにはたらきたもうことのかたどりとして説明する。
年譜
索引