モーパッサン

岩波文庫 メゾン テリエ 他三篇

メゾン テリエ〔モーパッサン / 河盛好蔵訳〕
聖水授与者〔モーパッサン / 河盛好蔵訳〕
ジュール伯父〔モーパッサン / 河盛好蔵訳〕
クロシェット〔モーパッサン / 河盛好蔵訳〕
解説

メゾン テリエ

モーパッサンの『女の一生』

『女の一生』のヒロインのジャンヌは
読み進むほどに肩透かしを食らって
何一つ共感できナイままに反感を持ってしまい
いくら悲惨な目に遭おうと
同情の余地もナイ程に嫌気が差した

先に『脂肪の塊』を読んでおらず
『女の一生』をいきなり読んでたら
モーパッサンを過小評価してたと思われw



美しくしなやかでスリリングな人間が好きで
特に女性は稀有な美貌によって
既にモラル的な是非は超越してるような美女だと
非凡な言動に魅せられ、心惹かれるのだが
するコトなすコト凡庸なジャンヌは
つまらナイ女の代表だった。(´д`;)ギャボ

でもそんなコトはタイトルで察するべきだったと
気付いたのはワリと最近(10年前くらい)で
非凡な女の境涯が描かれてる作品は
『カルメン』や『ボヴァリー夫人』や『脂肪の塊』のように
その女の呼び名を冠してるのだが
『女の一生』は原題もそのまま『Une vie』で
不特定な(女の)ままある人生、なのだよ。(゚д゚lll)ギャボ



そんな凡庸なジャンヌだが
父親のパーソナリティは実に興味深い!
93年を苦々しく思いつつ
革命の起爆剤となったであろう
ジャン・ジャック・ルソーの自然崇拝を
従来のキリスト教よりは信奉する!!

93年・・・1793年はルイ16世が処刑された年で
この年を苦々しく思うのは貴族だからだが
それだけの単純なキャラクターではナイ

貴族と言っても田舎に居を構えて
自然の中でのびのびと育ったせいか
貴族特有の高慢な性質も
悠然とした性格にすっかり呑み込まれてしまってて
周囲に不快感を与えるほど露呈しナイのだ
男気がある、とゆー程度

そして更にキリスト教には懐疑的で
ルソーの自然主義に共感を覚えてる点で
自分にとっては基本的に理解し合える相手だ

以上の父親についてのプロフィールは冒頭にあり
物語が進む中で少しづつ過去も解き明かされ
若い時にはなかなかどうしてやんちゃだったようで
情に脆く、感動しやすく
単に善良ではナイ心根の良さを持ち合わせてるぽい

その妻でありジャンヌの母親でもある婦人は
この父親に比すれば影が薄い存在だが
途中でいきなり意外な過去が発覚したりするるる~

そんな両親にしては
娘のジャンヌが主人公でありながら凡庸なのは
多感な時期に修道院にやられてたのが
原因と思われ。(´д`;)ギャボ

そんなワケで『女の一生』は
自分的には駄作と打ち捨ててたのだが
アラフォーになってから読み返してみたら
ジャンヌは凡庸だなんて
一言で簡単に片付けられなくなってた

ジャンヌの生活や人生に対する無欲さが
常軌を逸してるレベルで
非凡なコトに改めて気付いたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

そしてジャンヌの全ての悲運は
その無欲さによるモノだとも思えてきた

例えば「金が欲しい」と思うから
働く(正攻法)、強奪する(非合法)
あるいはジャンヌの息子のように無心するのだが
無欲なので得ようと思わず
何のアクションも起こさずにいるし
逆に息子にたかられるままに
じゃんじゃん与えてしまえるのだ

浮気を放置しっ放しのダンナに対しても
悲しむだけで何の働きかけもしナイのは
単に裏切られたのが悲しいだけで
ダンナを欲してナイからだ

むしろダンナに限らず男が欲しくナイのだろう
そこはレズビアンの自分には唯一共感できる部分だw

ダンナにも他の男にも心や身体が傾くコトがなく
だから関心をすら惹く気がなく
男にとって女として美しくあろう・・・
などとは思いつきもせず
無欲なのだ



とはいえ、ジャンヌは冷酷な人間でもなく
フツーに愛情を育めるタイプだが
それを子供にだけ注いでしまったコトで
しかも庇護や過保護が過分に含まれてたせいで
息子の放蕩三昧が歯止めの利かナイレベルに達したのだ

ジャンヌはこの時代の良家の奥様にしては
赤ん坊を乳母に任せずに
自身で育てたのも珍しいってか変わってるが
乳母に任せっきりの育児に対して
「おかしいだろう?」と意見したのがルソーなので
さすが父親がルソー崇拝者だけのコトはある?

でもジャンヌ自身はきっと
ルソーの教育論『エミール』を読んでおらず
だから息子を甘やかし過ぎて
ダメンズに育て上げてしまったんだろうヽ(゚∀。)ノ



尤も当のルソーも
実の子は捨て子してるしな・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ジャンヌは他の本もロクに読んでなかったから
その無味乾燥とした人生の中で
唯一感動したのがキリスト教なのは
もれなく当たり前の話だなw

『聖書』が世界的なベストセラーなのは
本を読まナイ大多数が唯一読んだ本だからだなwww

でもジャンヌはこれも父親の影響なのか
結果としては敬虔な信者にはならなかったのだ

教会に通ったりしなかったし
子供にも信仰を強要しなかった!

なんせ子供の聖体拝受をどうしようか迷ってるのだ!!

同じくモーパッサンの『メゾン テリエ』では
娼婦が娘に聖体拝受をさせる話で
これは信仰心よりも親心で
堅気の子のように体裁を整えてやるのだが
それと比べたらジャンヌの信仰心は
恐らく娼婦にも異端視されるほどなんだろう



つまりジャンヌは人生には受身で翻弄されてても
決して世間には流されておらず
凡庸な人生を非凡に生き抜いたがために
不幸に身をやつした気がしてきた

風に揺れる葦



モーパッサンは『Maison Terrier(メゾン テリエ)』で
お祝いに集まってきた人々を

そよ風にゆらぐ葦


と表現してて
原文のフランス語では次のようにあった

comme des roseaux sous la brise


comme:~のような
roseaux:葦
brise:弱い風(通常の風は vent で brise はそれより弱い風)

vent では喧噪の只中の群衆のようで
モーパッサンにしてみれば
お祝いにかけつけた人々の心情に相応しく
brise としたのではなかろうか?

河盛好蔵の訳が「そよ風」なのも美しい



これとは逆に
混雑した中で押し合いへし合いする群衆を

風に揺り動かされる芦(あし)のやうに揺られながら


と表現してるのは
トマス・ハーディの『Far From the Madding Crowd』で
上記の訳は昭和初期世界名作翻訳全集『遥かに狂乱の群を離れて』で
訳者は英文学者宮島新三郎だが
邦題は『遥か群衆を離れて』が一般的で
映像化作品の邦題もこれだった



原文の英語は未確認なれど
タイトルの『Far From the Madding Crowd』からして
ユダヤ人に言わせれば
「荒野の葦原より遠のいて」か?!

☆・・・☆・・・☆



頑丈な樫の木が何があってもびくともせずと自信満々で
鳥が留まったり風が吹いたりしただけでたわんでしまう葦を
冒頭では憐れんでるのだが
最期には暴風によって
葦はいつものようにたわんだだけだったが
樫は根こそぎ倒れてしまった

と、そんな話が
ラ・フォンテーヌの寓話の『樫と蘆(あし)』だが
これもパスカルの【考える葦】と発想が似てて
葦の弱さをわざわざ樫と比べてみて
でも実際には樫よりも強かったとしてるなんて
その手法の巧みさも比肩するね

ところでラ・フォンティーヌの寓話は
各社から出版されてるが
挿絵がギュスターヴ・ドレなので
自分はこれを購入した

☆・・・☆・・・☆

それにしても葦、蘆、芦、葭・・・と
葦の字は色々あるるる~