アリストテレス
岩波文庫 ニコマコス倫理学≪上≫
岩波文庫 ニコマコス倫理学≪下≫
ニコマコス倫理学≪上≫〔アリストテレス / 高田三郎訳〕
【第1巻】
序説
- [第1章]あらゆる人間活動は何らかの「善」を追及している。だがもろもろの「善」の間には主従関係が存ずる
- [第2章]「人間的善」「最高善」を目的とする活動は政治的なそれである。われわれの研究も政治的なそれだと言える
- [第3章]素材のゆるす以上の厳密性を期待すべきではない。聴講者の条件
幸福
- [第4章]最高善が「幸福」であることは万人の容認せざるをえないところ。だが、幸福の何たるかについては異論がある。(聴講者の条件としてのよき習慣づけの重要性)
- [第5章]善とか幸福とかは、快楽や名誉や富には存しない
- [第6章]「善のイデア」
- [第7章]最高善がは究極的な意味における目的であり自足的なものでなくてはならない。幸福はかかる性質を持つ。
幸福とは何か。人間の機能よりする幸福の規定 - [第8章]この規定は幸福に関する従来のもろもろの見解に適合する
- [第9章]幸福は学習とか習慣づけとかによって獲られるものか、それとも神与のものであるか
- [第10章]ひとは生存中に幸福なひとといわれうるか
- [第11章]生きているひとびとの運不運が死者の幸福に影響をもつか
- [第12章]幸福は「賞讃すべきもの」に属するか、「尊ぶべきもの」に属するか
- [第13章]「徳」論の序説―人間の「機能」の区分。それに基づく人間の「卓越性(アレテー)」(徳)の区別。知性的卓越性と倫理的卓越性
【第2巻】
倫理的な卓越性(徳)についての概説
- [第1章]倫理的な卓越性ないしは徳を本能的に与えられているものではない。それは行為を習慣化することによって生れる
- [第2章]ではいかに行為すべきか。一般に超過と不足とを避けなくてはならぬ
- [第3章]快楽や苦痛が特に対して有する重要性
- [第4章]徳を生ぜしめるにいたるもろもろの行為と、徳に即しての行為とは、同じ意味において善き行為たるものではない
- [第5章]徳とは何か。それは(情念でも能力でもなく)「状態」である
- [第6章]ではいかなる「状態」であるか。それは「中」を選択すべき「状態」にほかならない
- [第7章]右の定義の例示
- [第8章]両極端は「中」に対しても、また相互の間においても反対的である
- [第9章]「中」を得んがための若干の実際的な助言
【第3巻】
つづき
- [第1章]いいとかわるいとかいわれるのは随意的な行為である。随意的とは(1)強要的でなく(2)個々の場合の情況に関する無識に基づくものならぬことを意味する
- [第2章]徳はよき行為がさらに、(3)「選択」に基づくものとなることを要求する。「選択」とは何か。それには「前もって思量した」ということがなくてはならぬ
- [第3章]だが思量とは何か。――かくして「選択」とは「われわれの自由と責任に属することがら」に対する「思量的な欲求」である
- [第4章]「選択」が目的へのもろもろのてだてにかかわるのに対して、「願望」は目的それ自身にかかわる
- [第5章]かくしてわれわれの自由に属し、したがって悪徳もまたわれわれの責任に属する
倫理的な卓越性(徳)についての各論 勇敢
- [第6章]勇敢は恐怖と平然と(特に戦いにおける死についての)にかかわる
- [第7章]それに対する悪徳。怯懦・無謀など
- [第8章]勇敢に似て非なるもの五
- [第9章]勇敢の快苦への関係
倫理的な卓越性(徳)についての各論 節制
- [第10章]節制は主として触覚的な肉体的快楽にかかわる
- [第11章]節制・放埓・無感覚
- [第12章]放埓は怯懦よりもより随意的なものであり、それだけにより多くの批難に値する。放埓と子供の「わがまま」との比較
【第4巻】
(財貨に関する徳)
- [第1章]寛厚
- [第2章]豪華
(名誉に関する徳)
- [第3章]矜持
- [第4章](名誉心の過剰・名誉心の欠如に対する)それの中庸
(怒りに関する徳)
- [第5章]穏和
(人間の接触に関する徳)
- [第5章]穏和
- [第6章]「親愛」
- [第7章]真実
- [第8章]機知
(徳に似て非なるもの)
- [第9章]羞恥
【第5巻】
正義
- [第1章]広狭二義における「正義」
- [第2章]狭義における正義が問われている。この意味の正義は配分的正義と強制的正義に分たれる
- [第3章]配分的正義(幾何学的比例に基づく)
- [第4章]強制的正義(算術的比例に基づく)
- [第5章]「応報的」ということ。交易における正義
- [第6章]正義・市民社会・法律
- [第7章]市民的正義における自然法的と人為法的
- [第8章]厳密な意味における「不正を働く」ということ
- [第9章]ひとはみずからすすんで不正を働かれるか。配分における不正の非は何びとにあるか
- [第10章]正義に対する「宜」の補訂的な働き
- [第11章]ひとは自己に対して不正を働きうるか
【第6巻】
知性的な卓越性(徳)概説
- [第1章]その論究の必要。魂の「ことわりを有する部分」の区分(認識的部分と勘考的部分)
- [第2章]前者の目的は純粋な真理認識にあり、後者の目的は実践的な真理認識にある
知性的な卓越性(徳)各論
- [第3章]学
- [第4章]技術
- [第5章]知慮
- [第6章]直知(ヌース)
- [第7章]智慧(知慮との比較)
- [第8章](知慮と政治。知慮は個別にもかかわる)
実践の領域に属するその他の知性的な卓越性(徳)
- [第9章]「思量の巧者」
- [第10章]「ものわかり」「わかりのよさ」
- [第11章]情理(「ものわかり」や「直知」との共通性)
知性的な卓越性(徳)に関する諸問題
- [第12章]問題とその答え
- [第13章]つづき
訳注
ニコマコス倫理学≪下≫〔アリストテレス / 高田三郎訳〕
【第7巻】
抑制と無抑制
- [第1章]悪徳・無抑制・獣的状態。ならびにその反対のもの。
抑制と無抑制とに関するもろもろの通説 - [第2章]これらの見解に含まれている困難。以下かかる難点が解きほぐされなくてはならない
- [第3章]抑制力のないひとは知りつつあしきことをなすのだとすれば、この場合の「知りつつ」とはどのようなことを意味するか
- [第4章]無抑制は如何なる領域にわたるか。本来的な意味における無抑制と、類似的な意味における無抑制
- [第5章]獣的なまたは病的な性質の無抑制は、厳密な意味で無抑制とはいえない
- [第6章]憤激についての無抑制は、本来的な意味における無抑制ほど醜悪ではない
- [第7章]「我慢強さ」と「我慢なき」との、抑制ならびに無抑制に対する関係。無抑制の二種――「せっかち」とだらしなさ
- [第8章]無抑制と悪徳(=放埓)との区別
- [第9章]抑制・無抑制に似て非なるもの。抑制も一つの中庸といえる
- [第10章]怜悧は無抑制と相容れても、知慮は無抑制と相容れない
快楽―A稿―
- [第11章]快楽の究明の必要。快楽は善でないという三説とその論拠
- [第12章]右についての全面的な検討
- [第13章]つづき
- [第14章]つづき
【第8巻】
愛(フィリア)
- [第1章]愛の不可欠性とうるわしさ。愛に関する疑義若干
- [第2章]愛の種類は一つではない。その種別は「愛さるべきもの」の種類いかんから明らかになる。「愛さるべきもの」の三種――善きもの・快適なもの・有用なもの
- [第3章]愛にもしたがって三種ある。だが「善」のための愛が最も充分な意味における愛である
- [第4章]「善」のための愛とそれ以外の愛との比較
- [第5章]愛の場合における「状態」と「活動」と「情念」と
- [第6章]三種の愛の間における種々の関係
- [第7章]優者と劣者との間の愛においては愛情の補足によって優劣の差が補われなくてはならない
- [第8章]愛においては「愛される」よりも「愛する」ことが本質的である
- [第9章]愛と正義との平行性。したがってあらゆる共同体においてそれぞれ各員のあいだに一定の愛が見出される。共同体の最も優位的なものは国家共同体である
- [第10章]国政の種類と、そこから家庭関係への類比
- [第11章]右に応ずるもろもろの愛の形態。愛と正義とは各種の共同関係において、それぞれその及ぶところの限度が平行的である
- [第12章]種々の血族的愛。夫婦間の愛
- [第13章]各種の愛において生じうべき苦情への対策として、如何にして相互の給付の均等性を保証するか
(a)同種の動機による均等的な友の間において - [第14章]
(b)優者と劣者との間において
【第9巻】
つづき
- [第1章]
(c)動機を異にする友の間において - [第2章]父親にはすべてを配すべきか
- [第3章]愛の関係の断絶に関する諸問題
- [第4章]愛の諸特性は最も明らかに自愛において見られる
- [第5章]愛と好意
- [第6章]愛と協和
- [第7章]施善者が被施善者を愛することは後者が前者を愛する以上であるのは何故か
- [第8章]自愛は不可であるか
- [第9章]幸福なひとは友を要するか
- [第10章]友たるべきひとの数には制限があるか
- [第11章]順境と逆境といずれにおいてより多く友を要するか
- [第12章]「生を共にする」ということの愛における重要性
【第10巻】
快楽―B稿―
- [第1章]快楽を論ずる必要。快楽の善悪に関する正反対の両説。その検討の必要
- [第2章]快楽は善であるとするエウドクソスの説。(その制約。)エウドクソスに対する駁論の検討
- [第3章]快楽は善ではないとする説。それについての検討
- [第4章]快楽とは何か
- [第5章]快楽にはいろいろの快楽がある、――活動にもいろいろあるごとく。では何が人間の快楽であるか。それは何が人間の活動であるからというところから明らかになるであろう
結び
- [第6章]究極目的とされた「幸福」とは何か。それは何らか即自的に望ましい活動でなくてはならぬ。だが快楽が「幸福」を構成はしない。「幸福」とは卓越性に即しての活動である
- [第7章]究極的な幸福は観照的な活動に存する。だがかかる純粋な生活は超人的である
- [第8章]人間的な幸福は倫理的な実践をも含めた合成的な「よき活動」に存する
- [第9章]倫理的卓越性に対するよき習慣づけの重要性。よき習慣づけのためには法律による知慮的にして権力ある国家社会的な指導が必要である。立法者的能力の必要。律法の問題は未開拓の分野である。われわれは特に、国政に関して全面的に論ずるであろう
訳注
解説
文献略称
あとがき
用語索引
固有名称索引