傷ついた葦

パスカルは人間の例えに
なぜ【葦】を使ってるのか?

恐らく現代日本人には意味不明だろうが
西洋では群衆を形容するのに
【風に揺れる葦】が使われてる
(英語と仏語で確認)

この【風に揺れる葦】は
『新約聖書』のイエス・キリストの言に由来してるが
【葦】の例え自体はイエスがオリジナルでなく
ユダヤ民族が古来より使用してて
『旧約聖書』においても
人間はしばしば【葦】に擬えられてる

とはいえ、日本では
パスカル研究者の前田陽一、田辺保などが
【考える葦】の典拠としてるのは
【風に揺れる葦】でなく【傷ついた葦】で
これはイザヤの預言に出てくる

イザヤの預言によれば
「救世主が現れる」とのコトだったが
イエスはこの預言をそっくりそのまま暗誦して
「自分がその救世主である」とのたまう

【傷ついた葦】を含むほぼ同じ台詞が
『旧約聖書』にも『新約聖書』にもあるが
どちらも救世主目線で見た場合に
人間はまるで【傷ついた葦】のようだ、としてて
この【傷ついた葦】を折ることなく、とある

救世主は傷ついた人間を
折る=手折るコトなく・・・
摘まずにそのまま放置しておく(゚ ゚;)?

よっぽど残忍な人間でもナイ限り
既に傷ついてる人に対して
追い討ちを掛けたりしナイだろう

傷を癒すとか、支えになるとか
なんとか救いの手を差し伸べようとするのが
救世主でもナイフツーの人間のやるコトだ

しかし救世主は【傷ついた葦】に
何もせず放置プレイなのだヽ(゚∀。)ノ

これは情が深い人間にとっては納得し難いが
科学的な思考によって理解はできる

神が創造主として在る、と仮定すれば
科学の原理(自然の摂理)も司ってるはずで
自らそれに逆らって奇跡を起こしてはならからだ!
世界の秩序を保つためには
神が奇跡で人を救ったりしナイのが正しい!!

だから神の代理で現れた救世主も
【傷ついた葦】はそのままにしておくのが
非情なようだが正しいのだ

自分はそうして客観的に理解したが
パスカルはもっと受身でかつ能動的だったろう
(パスカルについてはどうも矛盾した文章を書いてしまうなw)

それと言うのもパスカルは
生まれつき極端に身体が弱かった

18歳の時以来、1日も苦痛なしに過ごした日はなかった

とは姉ジルベルトの証言だが
他の子が元気に飛び跳ねてる間中
パスカルはベッドで苦痛に耐えかねて
神に助けを求めて祈らざるを得なかった

ところが祈りは一向に届かナイか
届いてたとしても神は無慈悲なのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

健康な若者が青春を謳歌してる時
パスカルは苦痛と闘いながら
世界について深く考えてたと思われ・・・

自分が想像するパスカルは
いつも暗い寝床で苦しい息をしながら
眠るコトもできずに思索に耽る姿なのだが
パスカルが幾何学者となったのは
病身ゆえだ、とも言える
てか、他に選択の余地もなかっただろうて(;つД`)

そんなパスカルが近代科学を理解しつつ
無慈悲な神に対して信仰を持ち続けられたのは
虚弱体質と相俟った精神力の強さだ

パスカルこそがまさしく【傷ついた葦】で
今にも折れそう(死にそう)に弱ってたのだよ!

それでも奇跡も待たなければ
神を恨むコトもしなかったのだよ!!

【考える葦】だったから・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

苦痛を乗り越えるには強い意志が必要で
強い意志を齎すのは道理に適った思索なのだ

パスカルはそうして
【考える葦】であると自覚する時
自身の思考の中の宇宙に呑み込まれそうになり
またその宇宙を包んだ

自分はパスカルとは逆に
宇宙を嘔吐しそうになったりするが
そういう思索の消化不良に陥ってる状態と
同じ感覚になる仲間がいるのか?!
と妙にほっとしたのだった

葦が生物の中でどれほど弱いか?!
人間が宇宙に対して
どれほどちっぽけな存在か!
だけど考えるコトができるから偉い!!

なんて解説をよく目にするのだが
そんな薄っぺらな内容ではナイp(-_-+)q