映画『ボヴァリー夫人』とフランクリン・ライブラリー

Madame Bovary(2014)

原作のフローベールの小説は
高校生の頃に杉捷夫(すぎとしお)訳で読んで
40代前半になって同じ訳者のを読み返した

それは2008年の3月で
憧れのフランクリン・ライブラリーを
ヤクオフで落札したからだった

フランクリン・ライブラリーは
80年代の半ば頃に出てた豪華装丁本で
デアゴスティーニみたく月に1冊づつ揃えてく売り方で
当時はこれの世界の文学全50巻が欲しくてたまらなかったが
1冊が¥18,000ってバブルにもほどがあるるる~

50巻で90万円・・・バタリ ゙〓■●゙

まあ落札額は¥2,000だったがねw

こんなトコロまで金箔・・・バブリーだwww

いつか金持ちになって
立派な本棚のある書斎が持てたら
全冊揃えたいなんて野望を抱いてたのだが
日本での発行元のフランクリン・ライブラリー社は
バブル崩壊と運命を共にしたらすぃ
(ネット上にはほとんど情報が残ってなくて詳細は不明だが)

初めて手にした際にはうっかり涙したが
装丁のゴージャスさもさるコトながら
20年以上の経年をまるで感じさせぬ紙質に驚愕。(゚д゚lll)ギャボ

気になって調べてみたら
アメリカの図書館では1850年以降の粗悪な酸性紙の本が
21世紀にはぼろぼろに崩壊してしまうだろう危機に瀕してたのだが
これを回避するために古典的な手口で本を解体して
一葉一葉アンモニア希釈液に晒して製本し直したりしてては間に合わず
まだしも近代的なマイクロフィルム化などによって
別の媒体へ移し替えるコトで残す方法などが検討され
本を「本」として残すことから言えば、邪道かも
などと断った上で及び腰で作業せざるを得なかった

でも実際にはマイクロフィルム化で追いつく量ではなかったので
画期的なやり方として

ジエチル亜鉛ガスにより、本を解体しないでそのまま脱酸化する技術

が開発されたのだが
とにかく本の形状を半永久的に留めるには
紙質が劣化し難い中性紙でなくてはならなかった!

フランクリン・ライブラリーはまさにこれで
見た目に美しいだけでなく頑丈な本だったのだが
アメリカで電子書籍化が急速に進んだのは
そんな「本の危機」に対しての意識が高かったからこそで
本を残そう、でなく

本に書かれてる内容を残そう、となった経緯は
こうして改めて一部始終を知ってみれば
主旨として全く正しい^^

それでも同じ杉捷夫訳の『ボヴァリー夫人』を
電子書籍で入手した場合を想像してみると
感動の度合いは随分違ってただろう^^;

さて
『ボヴァリー夫人』の映画は
これまでにもいくつかあったが
自分はどれも未見だった

これは2014年ので主演がミア・ワシコウスカで
ジョニデがマッドハッターをやった
『アリス・イン・ワンダーランド』シリーズのアリスだった

男装して航海するアリスって
原作のイメージは損なったのだが
それこそが自分的には気に入ったのだった

そのアリスが人妻の役というのは
自分的にはどうもしっくりこなかったのだが・・・

初夜のシーンなんかはぎこちなさが必要だったので
観た後はなるほどハマり役だったかもと思えた

美青年レオンとの不倫も
御伽噺の王子と王女の初々しい恋のようで
生温かい目で見守ってあげたい気になったのだが・・・

後半で再会した際には
レオンは出世を夢見て見習い中の若者となってたので
恋愛に身をやつすようなコトはなくなってて
職場にやってきたエマ(ボヴァリー夫人)を追い返す

微塵も未練が無さそうな冷徹な面持ちが
美しいだけに際立ってた

それにしてもこの映画は
読書しただけでは不明瞭だった部分が
凄くクリアになった

それはエマが
なぜ病的に見栄っ張りなのかというコトだったのだが
承認欲求が強くてインスタ映えのために必死な
今時女子だったのだ。(´д`;)ギャボ

ミア・ワシコウスカが
そうとわかって演じてるのかどうかは別として
とても解り易くエマを表現してた

世界の中心が自分自身であると妄信してて
ちやほやされるのが当然で
欲しいモノは与えられて然るべきで
思い通りに行かなかったら鬱になるという
自己愛性パーソナリティ障害ぽい

それでもエマは悪意を持ってはおらず
他人を羨んで貶めたりはしなくて
また男(あるいはSEX自体)にだらしなくて不倫してるのでなく
自身の信奉者として受け入れてるだけで
だから夫に対してもそうで
信奉者に相応しいから受け入れるし
そうと思えなくなったら拒むのだ

アンナ・カレーニナのような肉欲に奔放な女ではなく
そこはまだマシな気がしたw

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